つれづれと

色々なことを書く

こんな暑い日はBase Ball Bearを聴くに限る

久し振りの更新。今日は気温が三十度を超えているらしい。クーラーを掃除して冷房をつけた。結構埃が溜まっていたので掃除をして良かった。視力の低下が著しい。十中八九スマホの見過ぎだろうが、眼鏡をそろそろ更新した方がいいのかもしれない。日本語の正しさだとかを考えるのがかったるい。先の先のブログを読みづらいと多数言われたのを完全にトラウマにしているが、まあ今頃私のこのブログを見る人もいないだろうとかいうのも違う気がするけど知らない。事実日が経ってから自分で読み返してもまあ読みづらいのは分かったが、まあだから改行を入れたりなどしたわけだが、そもそもこういうことを後々書くのもダセぇなと思うし、そもそも今も改行をする気が起こらずにこんな行数になっている。改行をする気が起こらないから改行をしないだけで、でもまあwebで読む文章は横書きが基本だから改行が適度にあった方がいい、という意見を見て腑に落ちたのであった、あったというか、というか今も何だこの密度の行数、と思っているが、うるせぇしらねぇみたいなことを考えていたし、考えていてしまう。というかまあ、表アカで暴れない分鍵アカウントで大暴れしていたのだが、それがこんなに長引いてるのもなんというか腑に落ちない話で、一回削ぎ落とすためにこうやってここのブログでこう書いている。これはただの日記だからまあいいのだけど、とりあえず今日は暑くて、暑くて夏の日は、ベボベの曲を聴くことにしている聴くことにしているというよりは聴いている。夏の暑い日に聴くベボベは良いのである。昔からそうだった。(WHAT IS THE) LOVE & POP?のアルバムをずっと聴いている。Stairway Generationが入っていたから借りた。Stairway Generationが大好きなのである。という訳で今日は暑い。

殺してやるとかいう殺意の言葉がすぐ思考から飛び出そうになることが極度に増えて、それでも学生時代だとかのそういう昔よりは遥かに精神状態がマシになった方だなと思う。その現象も含めてだ。殺意の方向性というか。希死念慮に襲われるよりはキツくない。それはそうと精神の状態が通院を必要としないところまで行くかと言われるとなかなか難しく、気が付けば二年が経ち、三回目の夏が来ようとしている。

というか今年は絶対に熱中症になって病院の点滴の世話にならないようにしたいなと思った。病院側も大変だろうから。自分も身のために気を付けたい。

夏に沁み入るBase Ball Bear

夏じゃなくても聴いている。暑くなった時とかそうじゃない時とかにも。

夕方の暖かさにはBUMPが合う。個人的に。

 

最初はほんとに小説のネタも浮かばないし何か成功体験でも書いてテンションを上げるかとここに学生時代のテスト勉強の仕方とか思い出とかを書こうとしていたのだが暑さに気付いて心がベボベに向かったから無しになった。というかいやまあ書いてもいいんだけど何も浮かばない。こんなこと書いてもなぁ、と思うし、なんだか敵意が悪意がちくちくちくちく身を刺して、あんなん書かなかった方が良かったかななんてことも思ったが、まあでも勝つのは俺らなんで。みたいな謎の気持ちで気持ちを立たせている。あれがあった後にフォロワーさんに色々傷付いただろうけれどこれでもう今後こういうことは言わないようにしよう……と思うようにならないで欲しい、なったら悲しい的なことを言われ、いやそれには自身も同意したが、じわじわじわじわ後からボディーブローのように効いてきていて、だからこれも削ぎ落とすためにここに書くし、いやというかそれは正解なんだけど、それでも僅かながら俺の行動を第三者が決めるな的な感情が湧き、だがそれは我儘で、わからんし、いやでもしらんもんは知らん。今後どうするかはわからない。わからないけどもう腐女子とかそういう言葉は使わないように生きてこ~とは思っている。というかタグを付けたり付けなかったりするために何か書くのも違うなとは思っていたけど実際ぐるぐる引っ掛かって何も書いていなくて、だがそれは単にこの件を言い訳にしただけのスランプかもしれないし、わからないからこう書くことで削ぎ落とす。大体タイトルの書き方が悪かったのかもしれんが別に強制はしていないし、お前が変える気がなくても構わんけど変えたい人が変えていってそれが結果的に多数派になったとしても構いはしないだろう?という話なのである。勝つのは俺らだ。勝ち負けの話なのかこれは?わからんけど別に俺達は繰り返すとしても全く同じように繰り返す生き物ではないし多少は好転していると思いたいし繰り返すかどうかはまだわからんだろうと言いたい、ああ言いたかったのだ、そうだ。だからいつかBLに腐という言葉を関わらせる文化をなくしていきたいね、という話なのだが、まあでも追々スタンダードになってく類の変化でしょう、と思っている。いや実際問題わからんけど、わからんからその未来を少しでも近付かせようと思って書いた記事だった。昔の話ばかり書いているでも書かないと過去にできそうにないから仕方ないこれは削ぎ落としなのだ。気にしなければいいとクリニックの先生にも言われたけど気にしないことができなかったから過去にするために過去にする作業をようやくする。それが今日の夏のように暑い日だった。五月だぞ。

 

いやそもそも誰も見ぃひんやろここ。と思っている。これはちょっと語弊があるな。何でこんなに敵意や悪意を向ける側の人のことばかり考えるのだろう。辞書引きながら書くのも大事だと思うからこういう習慣になったことに悪いとは思ってないけど鬱陶しさというか煩わしさは感じる。言葉はもっと自由でいいと思った。これも語弊がある。上手く伝わるかどうかなんてわからない。というかそもそも大半がブログ記事のことを言われたのであって私の小説のことを言われた訳でないのは分かるのだがたった一つだけ小説まで読んで読みづらいと言ってきた文章があったのでそれが増幅させてこういう事態になっている。これは言い訳でしょうか?誰かたすけて

つーか読みづらいとかいう言葉がトラウマになるのも腹が立つ。これはもう完全に個人的な話なのであの件の本題自体には関係がない。心の奥底にずっと残り続けそうな類の話で、確定したくはないのだが、残り続けていくのだろうなという気持ちがあり、嫌だ。たすけて

本題に関係ないところで思い悩み続けるのもアホらしいことだとは思っていた。理不尽だ。理不尽を感じる。理不尽と感じた我儘をこうやって書いて削ぎ落としておく。

話の終わりが見えないがアルバムもそろそろ一周するしここら辺で終わりにするか。

我儘ばかりを言っている。だから思い悩み苦しんでいる、と書くのも我儘なのだろう。上手く言えないがそれでも大事な言葉は幾つか貰ったからなぁ。

だからこんな我儘だらけの文章を投稿して削ぎ落としとする。