つれづれと

色々なことを書く

ボカロの歌詞

なんかボカロ曲の歌詞についての語りがバズってたらしいので僕もやりたいやりたい!!!ってなって書くことにした。雑語り。

 

ボカロ曲って括りがまず間違っててでもまあJPOP歌詞あるあるみたいなのもあるからその系統なのかもしれん。ボカロがまだ音楽ジャンルだと思われてそうなのがうかがえる。ある意味合ってるんだが歌手にボーカロイドを、というか合成音声を使っている、という共通点があるくらいなので音楽ジャンル自体はその中で多岐に渡る。だから作詞者によって違うとしか言いようがない。それでボカロ曲の特徴かもしれないがボカロ曲は大体作詞者と作曲者が同じ人物なので(作曲担当と作詞担当が基本分かれている活動形態のボカロPも勿論いる)ボカロPによる、と言い換えてもまあまあ過言ではない。

何か曲を例に挙げて書こうと思ったけれど上手いこと思い浮かぶことができない。僕はただのボカロリスナーでそれもほんのちょっとくらいの曲数くらいしか聴いたことがないような人間だから何か言うほどのデータがない。

あと最近流行った和風ボカロ曲って何があったっけ、って思うくらいボカロの和風曲に詳しくない(バズ元を仄めかすな) これはほんとに僕の好みの話なので好みド直球の人はよく知ってるのかもしれない。「まにまに」が和歌モチーフの歌詞だから和風かなぁ……って思ったけれどボカムンベースの方が主軸っぽい。結構昔の曲だったら和風の流行り曲も数があったような気がする……「番凩」とか。「まにまに」も二年前だぞ。二年前くらいはまだ最近に入れる最近。

「愚者」って響きいいよね。ぐしゃ。音みたいで。ピノキオピーの曲をずっと聴いている。聴きながら書いている。アイマイナ。曖昧な。

息が詰まるような曲がテレビの歌番組ではよく流れていてそれを「世間」といい嗚呼爪弾きにされてんのか、と無意識に感じている故の心の苦しさだった。それでも音楽は好きなはずで歌は好きなはずでじゃあこれは何だ、と思っている自分を学生時代救っていたのはボカロ曲と邦ロックだった。学生時代が終わり、今はほぼ主にボカロ曲が自分を救っている。あとボカロ曲作る人が作る音楽とかに。心が動く。息ができる。共感ができた。救われた。新しさを感じられた。刺激があった。もう見た、と思わなかった。もう聞いた、と思わなかった。全部じゃない。全部じゃないけど。何が違うかといえば介在する人間の数だろうか、と思う。利権とか商業とかそういう話になってくるけど単純に間に入る人間の数が減るとそれだけ創作者の想像がそのまま作品に込められる。直通でお届けされる。直通でお届けするために機械の音が歌を歌う。そういうこともある。そういうことをよく考える。だからクィアを感じる曲が多いのだろうか、と思う。クィア、という単語では覆える範囲が足りない気がする。マイノリティ、だろうか。とにかくここでなら息ができた。僕の聴くボカロ曲の範囲がそうという話である。よく聴くや好きなボカロPが、と言い換えてもまあ大体合ってるかもしれない。それに僕は怖いからボカロジャンルにずっといるけど他のジャンルでもそういう動きは進んでいるのかもしれない、僕が単に知らないだけで、というかきっとそうだろう。あとボカロ曲を好んで聴いてる理由に歌詞が動画に出てることがほとんど、というのがあって歌詞重視で曲を聴くタイプなのだが歌詞の出てないMVだと歌詞が分からないからふんわりしてしまうところがある(CDで最初に聴く時は歌詞カードを見ながら聴く)。動画説明文に書いてある歌詞と動画を同時に追って見るのも面倒臭いし。ボカロ曲は初見でも大体MVに歌詞が書いてあるので聴きやすい。言葉を追うのがどうやら好きみたいなのでだから合うんだろうな、と思う。完全に自分の主観での話である。

カラオケ行きてぇ。好きな曲歌いてぇ。

個人的に作ったピノキオピーの曲プレイリスト終わっちゃったな。

結局現在進行形で続いているのであった。

イヤホンと自分の耳の間だけで鳴っている曲が多くあってそれで救われる日々を大切に思っている。

 

何か例に挙げて語りたかったけれど好きな曲も歌詞もありすぎて絞れない。

今日はここまで。

ボカロについてもっと書きたいけど体力が追い付かないな。違う。怖いだけだ。