つれづれと

色々なことを書く

雑感とか。

とりあえず習慣づけることが大事かなと思い帰るまでの間書くことにする。終われるかな。

今日もヒバナを聴いてる。もう何周もしてるけど全然中毒じゃないわ〜〜〜〜〜〜〜(常套句)

 

書くことが特になくふわふわしている。

いやきっとあるんだろうけど、というかあるのだけど本当に書きたいかどうか分からない。

でも残しとかないといつか消えてしまうのにね。

消えずとも変容してしまう。思考だけの形にしておくとそうなる。なんか文字とかそうじゃなくても絵とか創作文章とか歌とかそういうのに変換しとかないとね、缶詰みたいにね、そのうち忘れるね。

そういうことばかりで大半出来てるはずだが世界は。

Twitterのおかげでアウトプットは格段に気楽になった気がする。繋がりやすくも拡散しやすくもなった。

色々それに伴うネガティブなことも起こってるけど。

ちょっとすぐうるさく感じるようになってしまうくらいには賑やかだから静かな場所を探したくなるようになった。こことかね。(ネットな時点で結構大分オープンでワールドワイドなのにね)

 

ここの文章誰が見てるんだろ。

どんな人が見てるんだろ。

 

書きたいことは実は浮かんでてね、まあ書くんだけど、いざ書こうとするとどういう筋道で書けばいいか分からないね。

何をどこまでハッキリさせてどこまで抽象的にするかとか。

大体思考を話そうとすると自分だけが知ってる前提とかがあるから傍から見たらとんだ不親切なことになってると思うんだがちゃんと思考を第三者にも汲めるように書く人は凄いなといつも思っている。技術とか労力とか。凄いな。味は薄まってしまうけどねその人だけが持つその人だけの。一長一短。

いやなんか議論に関する話をね、したいなと思って(本題)

主にツイッターについてだけど、定期的に大規模な(っぽく見える)言い合いが発生する。

ついこの間日本人は議論が苦手、できない、って趣旨の文章読んだからなんだけど原因はこういうのがあるかなぁって。

ここまで書いて自分の思考が大分もう言われてることだと思えてきたから書く気力が萎んできた。

我々は誰かしらが一つの不満を訴えた時にその発言者の発言態度、表現、人格について深く追及することはなく発言者によって世に提示された事柄についてを取り扱いそれそのものを見つめて思考し発言を重ねるべきであってそうでないと議論にはならない。

みたいなことを書こうとしたんだけれど見れば見るほどもう何度も見た気がする意見な気がする。

まあこの我々は〜の前には(議論がしたいなら)が括弧書きでつくんだけど。

問題から目を逸らしたい意図があれば自然と発言者への追及になり果ては攻撃になる。

そんなようなことが繰り返し起きてる。不毛である。がまあ意味がない訳ではないしなぁ。

不満は取り除かれる方が全体の楽に繋がると思うがなかなかあちらを立てればこちらが立たずとかある。

 

でもまあ人権に関わる話は極力人権を守る方向に進んだ方がいいと思うが……。

ほぼ確実に人権を守る方向に行った方がいいとは思うが。人間だから。あ、人間間の話で。

 

結局抽象的だけどもうそろそろバスも降りなきゃいけないし終わろう。終わります。

今日もオチがなかった。

お腹空いたなぁ。