つれづれと

色々なことを書く

テレキャスタービーボーイを聴きながら。

何か書かなきゃなぁと思って書き出してでもどう何を書き出せば決めていない。とりあえずBGMはテレキャスタービーボーイ。原曲のlong ver.をワンリピートで。

これをただひたすら明るい曲だと思っていた時期があった。

歌詞を読み込めばそんなことはない。というかここからは僕の解釈になるのだが。

 

テレキャスタービーボーイ』

 

大人になるほどDeDeDe
はみ出しものです伽藍堂
人生論者が語った
少女は鳥になって
綺麗事だけでPaPaPa
ボロボロの靴を結んで
デジタル信者が祟った
少年は風になって

ゆらりくらり大往生
お疲れ様ですご臨終

テレキャスタービーボーイ
僕に愛情を
嘘で固めたウォーアイニー
うざったいんだジーガール
魅惑ハイテンション
カニバリズム踊れば
一つ二つ殺めた手で
何を描いているんだろう
テレキャスタービーボーイ
僕に愛情を
誰か答えてくれないか

見た目がどうやらDeDeDe
ステレオバイアス、サディスティック
毒針持ったように歌った
少女は花になって
耳を塞いでもPaPaPa
奴らの声は派手になって
胸に刺さったあの言葉
少年は振り返って

ゆらりくらり大妄想
お互い様ですご臨終

テレキャスタービーボーイ
僕に感情を
ノイズ混じりのウォーアイニー
じれったいんだジーガール
油断禁物さ
頬に溶けた涙を
忘れたくて喉を締めた
過去に残した傷痕
テレキャスタービーボーイ
僕に感情を
今だけ抱いてくれないか

こんな世界じゃもう
息ができなくて
さよなら告げた現実に
許してはくれないか
弱い僕たちを
また何処かで会いましょう

テレキャスタービーボーイ
僕に愛情を
嘘で固めたウォーアイニー
うざったいんだジーガール
魅惑ハイテンション
カニバリズム踊れば
一つ二つ殺めた手で
何を描いているんだろう
テレキャスタービーボーイ
僕に愛情を
誰か答えてくれないか

 

すりぃ/引用元はpiaproより

 

「大人になるほどDeDeDe」Deはdeleteのdeだろうか。「はみ出しものです伽藍堂」伽藍堂っていつ見ても何か字が格好良くね?って思う。はみ出しものらしい。この自覚(させられるもの)に覚えがある人がこの歌詞の意味を見出す。見つけるというのか。気づくというのか。ともかく筆者がそれである。「人生論者が語った 少女は鳥になって」なんか勝手に第三者が〇〇(属性)は××で~と語ることがある。当事者でなく、ソースが想像のくせに。少女は鳥になった。ともかく自分の解釈を書くが、空を飛び立った(=自死をした)のだと思った。「綺麗事だけでPaPaPa ボロボロの靴を結んで」綺麗事とボロボロの靴の対比。だけどここは繋がっていないか? 貧困だとか、あるいは暴力によっての破損とか。でもちゃんと靴を結んで少年は外に出ようとしている。綺麗事だけではどうにもならない~とか言う前に綺麗事をちゃんと遂行しろ。ニュースの声を背に聞いて。「デジタル信者が祟った 少年は風になって」祟ったとはまた物騒だが残念ながら現実だ。デジタル世界(ネット空間)にいる何らかの思想の信者、という解釈をしている。そいつらが祟った。死んでくれと。少年は風になった。私はここで千の風になってを最初に思い浮かべた。そこからここの歌詞が自死を歌っているのでは? との考察が始まった。少女も少年も死んでいるが人生論者やデジタル信者は生きている。恐らく。

 

ゆらりくらり大往生 お疲れ様ですご臨終」ゆらりくらりと大往生していく。ご臨終していく。お疲れ様まで生きられたか? 誰か途中で死んだ命はなかったか? それを「大往生」と呼んでいいのか? 精一杯生きた。でも、もっと、きっと、生きられなかっただろうか。生きたかったんじゃないだろうか。生きたい命がまだたくさん生きている。だから生きたくてこの「ご臨終」を聴いているのである。「ご臨終」を聴いている間、聴いてる人は生きているのだから。何度も何度も聴いて生きている。

 

テレキャスタービーボーイ 僕に愛情を」僕に愛情を。直球である。愛情、この愛情をどう解釈するかで曲の印象はまた変わるのだろう。切実な響きに感じる。何故なら後の歌詞にもう少し詳しく書いてあるから。「嘘で固めたウォーアイニー」僕らはしばしば嘘を吐くのだがそれは全くもって日々を円滑に過ごすためであって別に言う必要がなければ本当のことを言いたいor何も返さずにいられたい。あるいは愛してるって言ったって本質は掴めていないじゃないかうそつき、ってことかもしれない。「うざったいんだジーガール 魅惑ハイテンション」実は割とここら辺の歌詞解釈をしていない。ただ魅惑ハイテンションはなんとなくわかる(たとえばテレキャスタービーボーイを聴くと魅惑ハイテンションになる。僕は。)「カニバリズム踊れば」カニバリズム。食人のことだが、これを人を食うの言い換えと解釈した。人を食ったように踊っている訳だ。あるいは人を食って踊っている。謳歌している。もしくは踊って忘れようとしている。

 

「一つ二つ殺めた手で何を描いているんだろう」発言する限り行動する限り生きている限り何かを誰かを動植物生物のどれかを殺めている。殺めるように誘導してしまっている。それで何を描いているんだろう(描くとは創作全般のことから思想、思考、言動、人生、様々な表現だ。人への訴えだ。)という自戒。あるいは、なあヘイター、アンタは直接人を殺しておいて何を主張してるんだ? という直球の怒りである。僕の解釈では。というか僕を救うための解釈ではこうなっている(だから勝手である)。何いい人のツラしてんだ、ボクを殺したくせに。と、そういう声がきこえてくる疑問がきこえてくる湧いてくるなあアンタ何でそれで恥ずかしくないんだ? 自覚することはないのか? 消費者もそうだ。よく見ろ。自虐も混ざっている。でも怒りも感じる。

 

テレキャスタービーボーイ 僕に愛情を 誰か答えてくれないか」切実な声の響き。この切実さに覚えしかない。愛情って言うけどきっとずっと基本的人権のことだぜ、これ(多分)。誰も答えてくれないのか? そんなことはない(この曲は大流行りしている。たくさんの人に愛されている。きっと共感されて、救いになっている、そして多分勇気になっている、多分ぼくもこの曲がなければ今こんな気分でこれを書いていない。「ひとりじゃない」って気分で。)

 

「見た目がどうやらDeDeDe ステレオバイアス、サディスティック」並んでる言葉が意外と結構直球である。ここらへんで気づく人も多いかもしれない。見た目がどうやらDeDeDe、「どうやら」である。何か言われたのだ。何か書かれていたのだ。何某かの主張を知ったのだ。どうやら、である。やれやれである。やれやれで済まない差別やめろ

「毒針持ったように歌った 少女は花になって」毒針持ったように歌った歌はボカロ曲には結構多い。多分その数は世間的大衆音楽……地上波の歌番組で流れるような音楽内でのそうじゃない曲と、割合が逆転している。多分。(詳しく統計をとった訳ではない) ボカロ曲以外にも勿論ある。歌った少女は花になった。余談だがボカロ曲の歌詞内やMVの表現で教室の花瓶が出てきたら大抵はいじめ(という名の暴力)の暗喩、あるいはいじめを苦にした自殺を示唆している。多分。これも単純に筆者の聴いた範囲での印象である。ともかく机に置かれた花瓶に入った花を想像した。自死について僕がひたすら考えまくっている。「耳を塞いでもPaPaPa 奴らの声は派手になって」耳を塞いでも聞こえてくる。わかる、解る、わかるよ、となった。マジできこえてくる。奴らの声。派手になっていく。どうしてなの。のさばりやがって。のさばらないで。わたしを誰か代わりに守って。壊れそうなの。一人だけではとても辛い。逃げても逃げても聞こえてくるのは何でなの。まあそれをききたくなくてぼくは毎日ボカロ曲を爆音で聴いて耳を塞いで心を守っている訳だが。この曲はそれを叫んでくれる。
「胸に刺さったあの言葉 少年は振り返って」胸に刺さったあの言葉、がありすぎる。でも自分は今ネガティブだからこういう解釈をしているけれど、ポジティブな解釈もここは出来るのかもしれない。少年は、死んでない。振り返っている。自分の人生をか。今まで出会ってきた言葉や人、歌、全てのことか。振り返った少年はこっちを見ているか?

 

ゆらりくらり大妄想 お互い様ですご臨終」大妄想をみんなしている。お互い様ならご臨終。全員最後には死ぬのである。で、そこの他人の死期をいたずらに早めさせているお前はいったい何がしたいんだ? 加担してる奴、お前らもだぞ。俺達の大妄想が勝つように祈っている。

 

テレキャスタービーボーイ 僕に感情を」感情を、と。感情を求めるなんて、なんて切実なんだ。だってつまりいま感情を抱かれていないってことだから。「ノイズ混じりのウォーアイニー じれったいんだジーガール 油断禁物さ」ノイズ混じりに愛してる。ノイズはどこから生じてる? 分からなかったら調べるしかないんだよ。知って欲しい。知ってくれ。信頼できる言葉をどうにか探して。そのためにはまず自分を信じる気持ちが必要だと、随分前に知った。どうか自分の感情を掘り下げて。自分の考えを掘り下げて。目を逸らさないで。目を逸らすな。シリアスな話はシリアス(極めて真面目)だからシリアスなんだよ。どうにもシリアスが苦手な雰囲気を醸し出されてるけどそれ嘘だからシリアスな話をちゃんと真面目に考えよう。感情を抱かれていないのは、誰だ?

「頬に溶けた涙を 忘れたくて喉を締めた 過去に残した傷痕」関係ないけど自分の首を手で絞めてる間落ち着いてる時期が個人的にあった。今は薬飲んだりとかしてもうそんなことはないけど。だからほんとに個人的な余談なんだけど。ところで喉を締める時、声を出す。逆だ。声を出す時に喉を締める。だから忘れたくて歌を歌う。たとえばこんな歌。他にも色んな歌。味方をしてくれたボカロの曲がたくさんあるからもっと紹介したい。「残した」のなら過去形なのだろうか。良かった。傷がないのが一番だけど、傷ついたそれが癒されたのなら、嬉しいし、どうかそのような物を自分も作りたい作っていきたい。

 

テレキャスタービーボーイ 僕に感情を 今だけ抱いてくれないか」

感情を今だけ抱いてくれないか、ってなんて切実なんだ。今だけ、って。なんだ。でも身に覚えがある。この歌詞をきいてあなたは何を思う?

 

「こんな世界じゃもう 息ができなくて さよなら告げた現実に」賑やかだったMVもここは白背景で文字だけだ。静かだ。この歌詞は直球だ。こんな世界は残念ながら現実だ。だからさよならを告げる。僕はこの曲を差別に苦しんだマイノリティの少年少女(MVや皆の解釈を加味すると恐らくトランスジェンダー)が自殺してしまうこの世の様を歌った歌だと思っていたが、とある人がこれは『再来』の歌だと仰っていた。だからぼくは希望が見えた。生きてるんじゃないか、と思えた。この曲の少女たちの話だ。でも現実世界で何人も死んでいることは、事実だから。

「許してはくれないか 弱い僕たちを また何処かで会いましょう」許しを請わなくていいことの許しを請うてしまう感情をわたしは知っている。世界から見たらきっと弱い。でも世界の方が変わったら。また何処かで会いましょう。僕はずっとこれを転生の文脈でしか考えられてなかったけれど、先述の解釈のおかげで、前向きに捉えられるようにもなった。

 

テレキャスタービーボーイ 僕に愛情を 嘘で固めたウォーアイニー うざったいんだジーガール 魅惑ハイテンション カニバリズム踊れば 一つ二つ殺めた手で 何を描いているんだろう テレキャスタービーボーイ 僕に愛情を 誰か答えてくれないか」

答えてくれるだろうか。わかんない。わからんけど何か書きたくて書き出したし、テレキャスタービーボーイの個人的な歌詞解釈の記事はずっと書きたいと思っていた。僕は僕が僕を軽蔑しないように差別に反対している。銀魂のキャラ達と文脈は一緒である。魂が折れちまうから折れないように考えて生きていたらこうなった。俺は俺をぶん殴りたくない。恥じたくない。あと銀魂キャラにもし会えたとしたら殴られんような銀の魂を持つ彼らに会っても恥じないような人間性の人間でいたいから(笑) だから言い続ける。言う必要もないくらい平和になるまで言い続ける(残念ながら今は全然平和じゃない!!!!!!!!) トランス差別に反対します。トランスジェンダーへの差別をやめろ。トランス女性は女性です。トランス男性は男性です。ノンバイナリー差別に反対します。女性差別に反対します。全ての差別に反対します。なあこれ言わないとほんとにちゃんと分からないことか? こんなに分かんない人がいることに驚いたし失望したんだけど。「お互い様ですご臨終」ありがとうレンくん。きっぱりとした声が聴こえた。だから生きてる。

それではパルラルラ!(白いトリを握り潰しながら)

 

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この作者はアイドルが好き

シンデレラの王子様が魔法を知っていたとしたら。舞踏会に現れたシンデレラのことをどう思うのだろう。美しいと思うのだ。魔法の在り処を知っていても、美しいと思う。シンデレラが、美しかったら。美しいという事実が目の前に広がり、それ以外の如何なる理由も美しいという事実の前には敵わない。だって美しいのだから。そして可愛い。そして格好良い。これらはすべて目の前で起こる事実なのだ。だから思わず可愛い、格好良い、そう叫んでしまってもしょうがない。シンデレラと踊る舞踏会、それは夢のような時間だ。シンデレラは十二時の鐘が鳴ったら帰ってしまう。そうするとシンデレラの魔法は解けてしまうのを、王子様は知っている。知っているから何だというのだ。幻滅するとでも思ったか。シンデレラが落とした硝子の靴を拾い上げ、彼女の正体を探りに行くとでも思ったか。そんなことはしない。シンデレラにだってプライベートはある。一王子がそれを邪魔しにいくというのは、王子の美学に反する。シンデレラと結婚したくないのかだって? 馬鹿いうな。何でその必要がある。何故その願望をもっていると決めつける。シンデレラと結婚はできないんだよ、なんて必要のない憐れみは、シンデレラと本気で結婚をしたい王子にだけ向ければいい。結婚ができなくて、かわいそう、だなんて、そんなことは決してないのだから決めつけはよしてほしい。満足できないのではないか。何故そんなことを思う。さっきの舞踏会中、こんなに満ち足りた気持ちをもらえたのに。この笑顔を見たか。偽りだと思うか。埋めきれない不遇への僅かな穴埋めが目的だと嘲うか。笑止。君は何もわかっていない。よく聞いてくれ。シンデレラは美しい。君はそれを魔法によってだと言う。魔法が解けたらシンデレラもただの人なのだと言う。それを知っていないから美しいと称するのだ、知ってしまったらもう言えない、だなんて言う。ナンセンスだ。間違っている。いいかい、シンデレラは美しさを身に纏って舞踏会に現れた。舞踏会へ行くためには魔法使いの存在が必要だった。シンデレラの前に魔法使いは現れた。それを偶然だと思うかい。いいや。魔法使いはシンデレラのことをちゃんと見ていた。彼女の美しさを、いや、彼女の美しい生き方をちゃんと見て見守っていた。舞踏会に行き、王子に会うのに相応しい人かを見極めた。厳しく、されど優しい目で。シンデレラの今までの生き様が、彼女を舞踏会の舞台へと導いた。だから王子は知っているんだ。シンデレラが美しいことを。この舞踏会の会場に立ったシンデレラが、その事実だけで、彼女の素晴らしさを教えてくれる。彼女の辛い出来事も、苦しみも、ここに来るための努力も、勇気も、胸に秘めた輝きも、彼女が美しいという事実が、教えてくれる。何を見て美しいと言っているか、わかるかい。シンデレラの姿から伝わる、シンデレラの歩んできた道のりを感じて、そう言っているんだよ。……何? シンデレラの素性を知らぬのに、そんなことを言うのは馬鹿だって? シンデレラが本当に美しく生きる灰かぶりであることを、直に確かめなくていいのかって? 必要が、あるかい。目の前に立ったシンデレラに、こんなにも希望と笑顔を与えてもらったのに。その事実を、蔑ろにしていい些末事と捉えるのは彼女にも、魔法使いにも失礼だ。君にはこの視点が欠けている。人を信じることだ。自分の目で見て心が感じたことを、信じることだ。馬鹿みたいな理想の話さ。裏切られるのは怖いという感情を持ったまま、馬鹿みたいに人を信じることを愛と言うのだと信じている。それでも。奇跡であることを信じていたい。自分の信じたい真実を信じたい。馬鹿と言われようが構わない。それよりずっと大事なことを知っている。自分を信じることだ。自分の愛する人を愛した自分の決断を、信じてやることだ。これほど強い想いを誰かに、何かに、持ったことが、あるかい。たったそれだけで人生は大きく輝く。これは感謝の気持ちなのだ。自分の人生に光を灯してくれた存在への、感謝の思いだ。シンデレラ、ああ、シンデレラ。あなたは私の王子様だ。あなたはいつも私たちのことをお姫様だと呼んでくれる。まるで己を舞踏会で姫に見えた幸運な王子かのように言う。でも違う。あなたは性別こそ王子様だけれど、私にとっては、シンデレラ。あなたこそが舞踏会に現れてくれた、私にとっての光、シンデレラだ。社会の中で未だ蔑ろにされ、息をするにも制限がかかる、不自由で怯え苦しいのに、それを認められることもない、平等だ活躍だ、おためごかしに収まる範疇でしか取り沙汰されず、批判をすれば「うるさい」「何様だ」「お前らのためを思って頑張っているのに我儘を言うな」「女のくせに生意気だ」「黙っていろ」そう言われる、それがよしとされる社会で必死に生きても、勝手な理想を押し付けられて、勝手な基準を作られて、勝手に期待されて、勝手に幻滅されて、同じ人と扱われずに、差別され揶揄され暴行され消費され、それすら小さな問題と投げ捨てられて、にこにこ笑って大人しく怒らずに従って楽しく生きていけと言われる、そんな人生で、そんな境遇で、生きている、私たちのことを。あなたは、大事にしてくれる。大切に、愛して、癒してくれる。あなた自身のためにあなたはそうする。私たちはあなたの人生を消費している。等価交換、ただの逆転現象、だからこそ愛と敬意をあなたに与えたい。周りにどんなに邪推されてもここに行き交う愛のことは、否定させない。できない。そうだ。あんたたちにはわからない。わかったような口を、利かないでいただきたい。この光を、脆く汚い偽りのものだと、私よりどうして君が判断できるというのだ。冷静でないのはどちらなのだ。あるものをないと言い張っているのは、一体全体どちらなのだ。

シンデレラと踊る舞踏会は、夢のような時間だ。城内は輝き、熱気に溢れている。王子たちは今日という日のために、新しい服を買い、髪型を整える。普段ものぐさな王子でも、シンデレラに会う日なら、慣れないメイクを久しぶりにする。そんな元気も出ない王子も、シンデレラを見たら元気をもらえると確信して、会場に足を運ぶ。皆がそれぞれのシンデレラとの物語を持っている。今日初めて来る王子も、数年ぶりに来た王子も、今日を最後にしようと思い来た王子も、いる。明日の舞踏会にも参加するために、宿をとった王子もいる。王子たちはショッピングバッグにグッズを詰め、ペンライトを手にして舞踏会の始まりを待つ。会場の暗転に、喉から自然に歓声が沸き上がる。シンデレラが登場する。目の前にシンデレラがいることに、最初はなかなか実感がない。シンデレラは、他のシンデレラたちと歌い踊る。積み重ねてきた練習の成果を、軽々と見えるように舞台上でこなす。シンデレラのウインク一つで、会場が揺れるように沸く。シンデレラたちは、来てくれた王子たちを楽しませるために、たくさんの趣向を凝らす。唾を飲み込んで、思わずペンライトを振る手が止まる瞬間さえある。起きた出来事を目に焼き付けようと、身体が動かない時でさえある。そんな瞬間と、音楽に合わせて身体を揺らすとびきり楽しい時間が交互に来て、身体と心が盛り上がっていく。日常生活では出せないほど大きな声を、身体の底から振り絞る。それが訳のわからないくらい楽しい。シンデレラがこちらに手を振ってくれる。それに全力で振り返す。シンデレラの楽しそうな顔を見て、泣きたくなるほど嬉しくなる。シンデレラがトロッコで反対方向に行ってしまい、少し残念に思う。でも他のシンデレラがこちら側に来るのを見て、とびきり嬉しく興奮する。シンデレラたちが交わすやりとりに、顔が崩れるほど笑みが零れる。少し王子に辛辣な態度をとる様子に、気を許してくれているのだと嬉しくなる。いつもクールに思われているシンデレラが、他のシンデレラたちと王子たちだけのいる舞踏会の空間で、ころころと笑いはしゃぐ様子に安堵とくすぐったい喜びが溢れる。愛おしさに心が包まれていく。王子は、シンデレラが、ここに居てくれる奇跡を知っている。シンデレラたちは、彼らの人生を歩んで生きている。舞踏会が終わったら確かに家に帰る。でももっと大きな舞踏会での、十二時の鐘がもし鳴って、魔法が解けたら、シンデレラは、シンデレラでなくなることもできる。灰かぶりの少女には、大切なネズミの友達もいて、いじわるでない家族がいて、ひょっとしたらたった一人の特別な愛する人もいるのかもしれない。それをただの王子である私は知ることができない。舞踏会にいる間の、シンデレラのことしか知られない。シンデレラの話す言葉が私にとっての彼の真実になる。永遠にわからない真実を信じて愛し続けるのが馬鹿で危ういことだと思うか。でもこうも思わないか。馬鹿のように人を愛し続けられることの、なんと素晴らしいことか。馬鹿のように愛せる人を見つけられた人生の、なんと素晴らしいことか。奇跡みたいな、得難き出逢いだ。シンデレラに出逢わなかったら私は、どうなっていたかわからない。彼のくれた光が希望となって、私を生かす。彼と同じ時代を生きられるだけで、生まれてきてよかったと心から思える。彼が如何なる未来を決めようと、過去に彼からもらった笑顔や希望は変えられない。彼らの幸せをただ願う。たとえシンデレラでなくなったとしても。シンデレラであった記憶と、自分を想ってくれる存在がいることを大事に生きてくれる限りは。シンデレラたちよ、シンデレラでいてくれてありがとう。シンデレラでなくなった者たちよ、シンデレラでいてくれてありがとう。舞踏会の感動した思い出は消えない。十二時の鐘が鳴っても、私たちは忘れない。舞踏会の開かれる限り、また何度でも踊りに行こう。シンデレラの美しさがある奇跡を、何度でも噛み締めよう。ここにある愛を、誰にも否定させやしない。あなたからもらった元気で、私は世界に愛を届けたい。光の明滅を、世界に広げていきたい。夢のような時間のために、多くの必死な現実が生きている。だからこの夢が抱き締めたいほど愛おしいのだ。だからこの夢は現実を生きる力に変わるのだ。だからあなたとの舞踏会はこんなにも楽しく、美しいのだ。シンデレラ。ああ、私の大好きな王子様。きっとまた、舞踏会でお逢いしましょう。私の愛する大好きな、アイドルの、シンデレラ。

見たことないんじゃなくて気付きもしてないだけなんだろうけどそもそもいることすら思い及んでる? 音楽番組が嫌い。

おはよう。4時だよ。

寝る前なんだけどね。

ピコンさんの「ガランド」を聴いているよ。

さっき知ったばかり、というか初見したばかりの曲でさっきハマったばかりのところだよ。

断絶のことについて考えているよ。

最近ずっとプロセカが好きだよ。プロジェクトセカイ。VOCALOID達が出ているリズムゲームアプリ。基本無料。ソシャゲ。愛してる。

断絶が解ってくれなくて構わない(どうせわからんだろう)という意を含んだ拒否の気持ちであること。若者文化と若者は今この世界でマイノリティの人数であるという言葉を前見たこと、ボカロ文化、テレビの音楽番組がおれもわたしもぼくも誰も無視して進んでいくこと、アンチ・ラブソング、だからもう解ってくれなくていいからそのまま死んでいってよ、みたいな酷い気持ちのこと。

別に全員に思ってるわけじゃないこと、でも民放の音楽番組が大体楽しさより息苦しさが上回る気分で見えること、民放のドラマも大体、良いドラマもある。苦しくて苦しいから苦しい。

ここで息をしている。

まあそもそもイヤホンで聴く音楽と音楽番組の相性が悪いのだが。ほんとか? やりようはもっと他にないのか? 断絶。拒絶。お前の解釈は聞いてない。どうせ浅いだろうから(笑)

なんにもわかるはずがない。これは逆説的な話で、これが出力されてるってことはなんにもわかるはずがない人、たち、なんじゃないか、って分析。印象。勝手な話。ちゃんと話を聞いたら違うかも。なんてことは思うけど。

プロセカには、若い子達のための作品作りを続けていって欲しいなぁ。

無視していいよ。置いてっていいよ。“あの人達”のこと。不特定多数。なぁ。わたしが恨みがましいだけ。

だからなんというか、当然の帰結

眠くなってきたから寝るけど。

冷たくて、嘘じゃない、拒絶の断絶。それがあること。書いとく。

おやすみ。こっちに来るなら来てよ。どうせ細かく見てけば、全部マジョリティの人間の方が少ないだろうにな。なぁ、そうなんじゃねぇの。知らんけど。見たことないの? 嘘だろ(笑)

日記

眠れない夜にBUMP OF CHICKENを聴いている。不眠の時に飲む薬をさっき飲んで、効果が出るのを願っている。待っているのかもしれない。わからん。日記である。かといって書くこともない。嘘だけど。なんか上手く書ける気もしない。ただ眠くてでも眠りに入れなくてだからBUMP OF CHICKENを聴いていて、日記を書いている。書くことがない。嘘。でもこんだけ眠い時に書けるようなことは今思い付かない。眠い。寝る。

こんな暑い日はBase Ball Bearを聴くに限る

久し振りの更新。今日は気温が三十度を超えているらしい。クーラーを掃除して冷房をつけた。結構埃が溜まっていたので掃除をして良かった。視力の低下が著しい。十中八九スマホの見過ぎだろうが、眼鏡をそろそろ更新した方がいいのかもしれない。日本語の正しさだとかを考えるのがかったるい。先の先のブログを読みづらいと多数言われたのを完全にトラウマにしているが、まあ今頃私のこのブログを見る人もいないだろうとかいうのも違う気がするけど知らない。事実日が経ってから自分で読み返してもまあ読みづらいのは分かったが、まあだから改行を入れたりなどしたわけだが、そもそもこういうことを後々書くのもダセぇなと思うし、そもそも今も改行をする気が起こらずにこんな行数になっている。改行をする気が起こらないから改行をしないだけで、でもまあwebで読む文章は横書きが基本だから改行が適度にあった方がいい、という意見を見て腑に落ちたのであった、あったというか、というか今も何だこの密度の行数、と思っているが、うるせぇしらねぇみたいなことを考えていたし、考えていてしまう。というかまあ、表アカで暴れない分鍵アカウントで大暴れしていたのだが、それがこんなに長引いてるのもなんというか腑に落ちない話で、一回削ぎ落とすためにこうやってここのブログでこう書いている。これはただの日記だからまあいいのだけど、とりあえず今日は暑くて、暑くて夏の日は、ベボベの曲を聴くことにしている聴くことにしているというよりは聴いている。夏の暑い日に聴くベボベは良いのである。昔からそうだった。(WHAT IS THE) LOVE & POP?のアルバムをずっと聴いている。Stairway Generationが入っていたから借りた。Stairway Generationが大好きなのである。という訳で今日は暑い。

殺してやるとかいう殺意の言葉がすぐ思考から飛び出そうになることが極度に増えて、それでも学生時代だとかのそういう昔よりは遥かに精神状態がマシになった方だなと思う。その現象も含めてだ。殺意の方向性というか。希死念慮に襲われるよりはキツくない。それはそうと精神の状態が通院を必要としないところまで行くかと言われるとなかなか難しく、気が付けば二年が経ち、三回目の夏が来ようとしている。

というか今年は絶対に熱中症になって病院の点滴の世話にならないようにしたいなと思った。病院側も大変だろうから。自分も身のために気を付けたい。

夏に沁み入るBase Ball Bear

夏じゃなくても聴いている。暑くなった時とかそうじゃない時とかにも。

夕方の暖かさにはBUMPが合う。個人的に。

 

最初はほんとに小説のネタも浮かばないし何か成功体験でも書いてテンションを上げるかとここに学生時代のテスト勉強の仕方とか思い出とかを書こうとしていたのだが暑さに気付いて心がベボベに向かったから無しになった。というかいやまあ書いてもいいんだけど何も浮かばない。こんなこと書いてもなぁ、と思うし、なんだか敵意が悪意がちくちくちくちく身を刺して、あんなん書かなかった方が良かったかななんてことも思ったが、まあでも勝つのは俺らなんで。みたいな謎の気持ちで気持ちを立たせている。あれがあった後にフォロワーさんに色々傷付いただろうけれどこれでもう今後こういうことは言わないようにしよう……と思うようにならないで欲しい、なったら悲しい的なことを言われ、いやそれには自身も同意したが、じわじわじわじわ後からボディーブローのように効いてきていて、だからこれも削ぎ落とすためにここに書くし、いやというかそれは正解なんだけど、それでも僅かながら俺の行動を第三者が決めるな的な感情が湧き、だがそれは我儘で、わからんし、いやでもしらんもんは知らん。今後どうするかはわからない。わからないけどもう腐女子とかそういう言葉は使わないように生きてこ~とは思っている。というかタグを付けたり付けなかったりするために何か書くのも違うなとは思っていたけど実際ぐるぐる引っ掛かって何も書いていなくて、だがそれは単にこの件を言い訳にしただけのスランプかもしれないし、わからないからこう書くことで削ぎ落とす。大体タイトルの書き方が悪かったのかもしれんが別に強制はしていないし、お前が変える気がなくても構わんけど変えたい人が変えていってそれが結果的に多数派になったとしても構いはしないだろう?という話なのである。勝つのは俺らだ。勝ち負けの話なのかこれは?わからんけど別に俺達は繰り返すとしても全く同じように繰り返す生き物ではないし多少は好転していると思いたいし繰り返すかどうかはまだわからんだろうと言いたい、ああ言いたかったのだ、そうだ。だからいつかBLに腐という言葉を関わらせる文化をなくしていきたいね、という話なのだが、まあでも追々スタンダードになってく類の変化でしょう、と思っている。いや実際問題わからんけど、わからんからその未来を少しでも近付かせようと思って書いた記事だった。昔の話ばかり書いているでも書かないと過去にできそうにないから仕方ないこれは削ぎ落としなのだ。気にしなければいいとクリニックの先生にも言われたけど気にしないことができなかったから過去にするために過去にする作業をようやくする。それが今日の夏のように暑い日だった。五月だぞ。

 

いやそもそも誰も見ぃひんやろここ。と思っている。これはちょっと語弊があるな。何でこんなに敵意や悪意を向ける側の人のことばかり考えるのだろう。辞書引きながら書くのも大事だと思うからこういう習慣になったことに悪いとは思ってないけど鬱陶しさというか煩わしさは感じる。言葉はもっと自由でいいと思った。これも語弊がある。上手く伝わるかどうかなんてわからない。というかそもそも大半がブログ記事のことを言われたのであって私の小説のことを言われた訳でないのは分かるのだがたった一つだけ小説まで読んで読みづらいと言ってきた文章があったのでそれが増幅させてこういう事態になっている。これは言い訳でしょうか?誰かたすけて

つーか読みづらいとかいう言葉がトラウマになるのも腹が立つ。これはもう完全に個人的な話なのであの件の本題自体には関係がない。心の奥底にずっと残り続けそうな類の話で、確定したくはないのだが、残り続けていくのだろうなという気持ちがあり、嫌だ。たすけて

本題に関係ないところで思い悩み続けるのもアホらしいことだとは思っていた。理不尽だ。理不尽を感じる。理不尽と感じた我儘をこうやって書いて削ぎ落としておく。

話の終わりが見えないがアルバムもそろそろ一周するしここら辺で終わりにするか。

我儘ばかりを言っている。だから思い悩み苦しんでいる、と書くのも我儘なのだろう。上手く言えないがそれでも大事な言葉は幾つか貰ったからなぁ。

だからこんな我儘だらけの文章を投稿して削ぎ落としとする。