つれづれと

色々なことを書く

二次創作しても成長はしないのかもしれない

二次創作というのは作品を借りて作品を作る行為であるから、元の作品を作る分の労力や過程は省かれている。二次創作を作る過程をいくら積み重ねても自分は成長しないのではないか、と、前々から知っていたことを、さっき初めて言語化したような感じだ。そもそも二次創作を作る過程に己の成長を期待する人はあまりいないだろう。二次創作を執筆する前と終わった後で、劇的に見える世界がパッと変わるような、そんな体験は、なかなかないだろうと思われる。むしろ、あったとしたら、ではどうしてそれを元の作品を読み込んでいる最中にしない、という話にもなる。成長は必ずしも要るものではないが、では成長せずに二次創作を作る過程を何年も積み重ねていって、それで、どうなるというのだろう。全て借り物の上で行われていることなのだ。無論、二次創作を続けていき、やがてそれを一次創作へと昇華(と言えばいいのか)して、その人のオリジナル作品が生まれた事例は何件もあるようだ。それでも土台は誰かの作品だったことに変わりはない。だがオリジナル作品になった時点で、土台は新しいものに変わっている。

二次創作というのは大変に勝手なもので、勝手を承知で行うものであろう。人の作品を借りた上で成り立っている。どれだけ二次創作で労力を使ったところで、最初の時点で楽をしている。せめて元の作品を読み込んで、読み込んで、読み込んで、ようやく役者を舞台に上がらせられる段階に至れるかどうかくらいの、それくらいの誠実さが要る。というか、恐ろしいことだ。

出発は借り物なので、それはよっぽどのことがない限り、いつまで経っても君のものにはならない。

 

眠くなってきた。今日はここまで。